大判例

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名古屋高等裁判所 昭和49年(う)318号 判決

本籍

愛知県岡崎市元能見町一三〇番地

住居

同市能見町二四六番地

会社役員

深見鉋一

昭和六年一月一〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、名古屋地方裁判所が昭和四九年五月二七日言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官関口昌辰出席のうえ、審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤和尚作成名儀の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意(量刑不当の論旨)について、

所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌したうえ、証拠に現われた被告人の性行、経歴、境遇、本件各犯行の動機、態様、特に、本件所得税逋脱額は、原判示第一の年度において四一五万余円、同第二の年度において八六四万余円 合計一、二七九万余円の多額に達し、その動機も、自己の事業の安定拡大のための資金を蓄積しようと企てたもので、同情すべき余地のないことなどを考慮し、同種事犯に対する科刑の現状を併せ考えると、原判決の量刑は、まことは相当であつて、所論のうち、肯認できる諸事情を被告人の利益に斟酌しても、重きに過ぎるものとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないので、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田誠吾 裁判官 平野清 裁判官 大山貞雄)

昭和四九年(う)第三一八号

控訴趣意書

被告人 深見鉋一

右被告人に対する所得税法違反被告事件について次の通り控訴趣意書を提出する。

昭和四九年八月一六日

弁護人 伊藤和尚

名古屋高等裁判所刑事第一部 御中

一、本件控訴の趣意は要するに第一審判決の下した懲役四月執行猶予二年及び罰金三〇〇万円と言う結論のうち罰金刑が後記諸般の量刑事情を検討すると量刑著しく重きに失するの違法・不当が存し第一審判決は破棄を免かれないと言うにある。

二、まず被告人の経歴と人柄をみて、その人格形成努力を量刑事情の一として考慮すべきである。

被告人は昭和六年東加茂郡松平村の寒村にて、衣料品行商を為してかろうじて生計を立てていた父深見栄の長男として出生した。生家は極めて貧しく被告人は幼少の頃雨の漏るような家に住み経済的に恵まれぬ環境の内で生育した。学校教育も岡崎梅園小学校高等科を卒業したのみで一四才頃より社会の荒波にもまれて生活するのやむなきに至つた。小学校卒業後しばらくして、被告人は父の衣料品行商を手伝い生家の生計樹立に多大の寄与を重ねた。被告人は父の行商を手伝うことの中で、だんだんと商売を憶えて行つた。血のにじむような努力を重ねて得意先を拡大し、購売層の増大を図り収入を挙げていきやがて父とは独立して商売を始めるようになつた。昭和三三年妻朝子と結婚し翌三四年には岡崎市能見町に洋服小売の店を開くに至つた。その後も妻の協力を得て、持ち前の粘り強さと商売熱心で、自己の職業を充実させ発展させ、昭和三八年には豊田市に「メンズシヨツプ・フカミ」を、同四六年一〇月に岡崎市康生通りに「メンズキヤツスル・フカミ」をそれぞれ開店した。被告人は現在においては同業者間において相当の知名度を有し、被告人の経営するメンズシヨツプは岡崎のみならず近隣市町村から多大の好評を博している。

このように貧しい幼少の頃から一貫して被告人は身を立て名を上げるべく努力して来た。己れの職業に打ち込むことで社会にも少なからざる貢献を為して来た。並みの人間にかかる人格形成努力があり得るかと思われる程である。以上の如き、被告人の経歴や人柄は本件の量刑において充分に評価さるべきものと思料する。

三、被告人が本件犯行に至つた縁由も又、被告人にとつて有利な量刑事情として参酌さるべきであると思料する。

検察官は冒頭陳述の中で、被告人があたかも事業の安定拡大の為め隠し資産の蓄積を図り本件の所得税法違反に及んだかの如く主張している。然しながら本件は左様な意識的計画的の違反ではない。

被告人は前述の如く十数才の頃からいわば体で商売を憶えて行つたたたきあげの人間である。このような人物にありがちな事であるが、被告人は企業経営の実体的な側面には才能もあり行動力もあるが、企業経営の形式的規制の側面に関しては、残念ながら大いに不明であつた。即ち経理上収支を合理的に管理する方面に無知であつた。又怠慢でもあつた。かかる無自覚が起因して本件所得税法違反となつたのであつて、本件は―何とも幼稚な脱税形態から考えても―決して意識的計画的のものではない。

更に本件では関与税理士の怠慢が一つの大きな縁由になつている事を看過し得ない。税理士は中正な立場において納税義務者の信頼にこたえ租税に関する法令に規定された納税義務を適正に実現し、納税に関する道義向上に努力しなければならぬ職責を有するのであつて単に申告手続を代理すればよいと言うものではない。特に被告人の依頼していた小島税理士は被告人と数年も顧門関係にあつたのだから、被告人の稼働力の実体や年次の所得や経費の順次的増大傾向を大ざつぱに把握すべきは勿論のこと、被告人に対して収支を明確にすべき帳簿記入方法を指導すべきであつた。若し小島税理士に税理士法第一条所定事項の自覚と職業的誠意による充分の指導力があれば被告人による本件所得税法違反事件は発生しなかつたかも知れない。このような点―特に昭和四六年分につき被告人が資料を提出したのに小島税理士は期限内申告すらやつてないことを考えると、同税理士の実務能力には多大の疑問があつた―も刑の量定に当つては充分に勘案さるべきものと思料する。

四、被告人の犯行態様即ち脱税方法は極めて幼稚なものであつた。この事は本件が組織的、計画的な脱税ではなかつたことを物語つている。この点も量刑上参酌さるべきものと思料する。即ち本件態様は被告人の経営する三店舗のうち豊田店の売上と経費を除くというものであつた。このように三店舗のうちの一つを税務申告外とする単純なやり方であつた。(前述の関与税理士は被告人の店舗数すら知らなかつたのだろうか。)被告人に悪知恵があれば、このような単純な方法でなく三店舗それぞれにつき収入を過少とも経費を水増しする方法をとるだろう。被告人の脱税は彼の人生最大の汚点であり恐らく唯一の汚点となるものと思われるが、それでも本件は巧妙に仕組まれた悪質な脱税とはいい切れないのである。

五、被告人は本件の所得税法違反の為め大変な打撃をうけた。制裁はすでに終つたと言つてよいほどの打撃であつた。ある者がその所属する社会の掟を破り禁を犯した場合には刑事法的、非刑事法的の制裁が彼を襲うだろう。その場合、非刑事法的制裁が強力であればあるほど、刑事法による制裁は謙抑主義的でなければならない。けだしそうであつても破られた秩序は回復されるし又将来に向つて規制的機能が充分に働くからである。かかる観点から被告人にとつて有利な量刑事情が検討さるべきである。

まず被告人は名古屋国税局の計算にかかる所得金額を凡て認め、本件で問題となつている昭和四六年、同四七年度分につき修正申告を為し全額納付している。無申告重加算税もすでに全額納付済である。被害は全額回復されており、そのうえ行政的ではあるが制裁的機能をもつ重加算税約五〇〇万円を納付しているのである。更に右完納に至る迄の間、被告人は名古屋国税局の極めて厳しい調査追及を受けた。その為め昭和四八年や昭和四九年のある期間、ほとんど商売に手がつかない程であつた。生れて始めての異常な体験で被告人の精神は疲痛困憊してしまつた。加えてこの期間被告人は、商人として最も大切な徳目である信用を失いかけた。脱税がいかに引き合わない事か被告人は身にしみて理解した。被告人に反省をうながすに足りる制裁はすでに終つたと言つても過言ではない。事実被告人は最早充分に反省している。かかる状況下に更に国家が刑罰権を用いて三〇〇万円もの高額な罰金を命ずるのは酷に失すると思料するものである。

六、最後に被告人の反省と今後の税務対策につき量刑事情を主張する。

すでに述べたように被告人は自己の犯した非を充分反省している。然しことわざに言う「のど元すぎれば熱さを忘れる。」の類いでは何にもならない。二度とかかる過ちを無くする為めにはそれ相当の制度的保障がなくてはならない。まず被告人の年間所得は二、〇〇〇万を越えるに至つた。そして店舗も前述の如く三つであり現に活況を呈しているし将来は名古屋進出も期待されている。マスコミを通して「メンズシヨツプフカミ」の名称も岡崎を中心とする西三河に周知のものとなつて来た。こうなつてくると必然的に個人企業から法人組織への移行が要請されるに至る。そこで被告人は昭和四九年五月一日有限会社メンズシヨツプフカミを設立し代表取締役に就任した。会社組織にしておけば毎決算期ごとの利益計上の為め商業帳簿は個人企業当時以上の明確性、継続性が要求される。被告人の経営する会社は、売上はやはり店頭販売が主なものであるが、日々保存する価額表から当日の売上が売上日計表に記載され、これから元帳へと集積する。仕入についても同様に正確な仕入帳を作つて元帳へと反映させるようにする。毎決算期ごとの利益計上は公認会計士に依頼し正確を期し又税務処理上も遺感なきを期すよう努める。

被告人が依頼した会計士柴田勝氏は単に納税事務代行だけでなく日常的にも正しい帳簿の記載方を被告人に指導している。このような状況から判断すれば被告人に再犯のおそれはまつたくないものと言わざるを得ない。被告人もその決意である。

七、以上諸般の事情を考慮するとき罰金三〇〇万円の審判決は量刑著しく重きに失する違法、不当が存するので破棄を免かれないものと思料する。被告人に対する罰金刑の額としては右各論じた事情、を総合的に検討するときは一五〇万円程度が相当と解されるので、貴裁判所におかれては能うかぎりの御寛大な裁判相成り度く、この控訴趣意書提出に及ぶものである。

以上

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